国立研究開発法人 水産研究・教育機構

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コラム:脂鰭(あぶらびれ)の役割-ある研究論文の紹介-

このコラムは、2008年5月29日に公開されたものです。


数年前、ある人から「サケ科の魚の脂鰭(あぶらびれ)って、何のためにあるの?」と質問を受けたことがあった。脂鰭の役割なんて考えてみたこともなかった私は、答えに窮してしまった。後日調べてみると、脂鰭の機能に関する研究が、学術論文として2004年に発表されていることを知った。つい先日、別の人から脂鰭について同じような質問を受けた。「多くの人が、あの小さな鰭のことを不思議に思っているのかもしれない」と感じた私は、少々昔の論文ではあるが、その論文のことを紹介してみようと思い立った。

論文のタイトルは “Hydrodynamic and phylogenetic aspects of the adipose fin in fishes” といい、著者はビクトリア大学(カナダ)の Reimchen 氏と Temple 氏という方々である。2004年の Canadian Journal of Zoology 82 号の 910-916 ページに掲載されている。タイトルを和訳すると「魚類における脂鰭の流体力学的および系統学的見地」となるだろうか。その研究は、サケ科魚類のスチールヘッド Oncorhynchus mykiss (ニジマスの降海型)幼魚(写真1)を使い、脂鰭の切除前後で泳ぎ方に違いが見られるかどうかを流水水槽で観察したという、どちらかといえばシンプルな実験だ。

サケ科魚類の魚は、河川のように流れのある環境では、上流に向かって泳ぎながら流れのある一地点に留まるような行動(定位行動)を示す。そこで、流速を様々に変えた水槽(流速:10-39 cm/秒)に体サイズの異なるスチールヘッドの幼魚(標準体長:5-18 cm)を1尾ずつ入れ、定位行動の様子を個体ごとにビデオ撮影した。ここでは、この映像のことを “処理前映像” と呼ぶことにしよう。

コラム_写真1写真1 本研究の主役であるニジマス Oncorhynchus mykiss.
日本では、降海型のスチールヘッドは珍しいが、北海道の河川や湖沼を中心にニジマスが生息している。矢印で示した鰭が脂鰭(あぶらびれ)。

その1週間後、全ての魚が麻酔された後に、そのうちの半数は脂鰭を切除された。つまり、この段階で脂鰭を切られた魚(切除群)と切られなかった魚(対照群)の2群ができたことになる。麻酔から覚醒した魚を十分休息させた後に、再び前回と同じ流速条件の流水水槽で、全個体の定位行動が撮影された。これを “処理後映像” と呼ぶことにする。ちなみにビデオ映像のみからでは、その魚が切除群なのか対照群なのか区別は出来ないという。このようにして撮影された “処理前映像” と “処理後映像” をもとに、(1)10秒あたりの尾鰭の振幅頻度(回数)と(2)尾鰭の最大振幅が個体ごとに数値化された。

以上が実験のあらましであるが、これを流速や魚の大きさ、麻酔の種類、そして水温条件などを変えて、実験条件の異なる合計7種類の試験が行われた。実験の結果はさまざまで、7種類の試験のうち3種類では切除群と対照群との間に泳ぎ方の違いは認められなかった。ところが、残る4種類の試験では両者の泳ぎ方に違いが認められ、切除群は対照群よりも尾鰭の振幅が大きくなったという。7種類全ての試験を総合しても、切除群のほうが対照群に比べて、尾鰭の振幅は8%大きくなったそうだ。

正確にいうと、7種類の試験全てで切除群と対照群が比較された訳ではなかった。そのうち1種類の試験では、脂鰭を切除する代わりに、脂鰭の後ろ部分に 3 mm ほどの傷を付けただけの、実際には脂鰭を残した群(傷付け群)が使われた。抜け目のない用心深い試験者が「ひょっとしたら脂鰭切除によるストレスが泳ぎ方に影響しているのかもしれない」と考えて、その影響を検討するために用意された試験だった。

その試験の結果、傷付け群と対照群の間には、尾鰭の振幅の大きさにも振幅頻度にも違いはみられなかった。このことから、脂鰭を切除すると尾鰭の振幅が大きくなるのは切除によるストレスが原因ではなく、脂鰭そのものの有無が泳ぎ方に影響しているためであると考えられた。尾鰭を大きく動かすには当然より多くのエネルギーが必要になる。つまり、脂鰭を持つ魚というのは、脂鰭がついていたほうが効率よく遊泳できることを、この研究結果は示している。

なぜ、脂鰭を切除すると尾鰭の振幅が大きくなるのだろうか?著者らにも、その本当の理由は分からないという。しかし、マグロなど高速で泳ぐ魚にみられる小離鰭(しょうりき)のように(写真2)、水の流れによる渦を整える整流板の役目を脂鰭が果たしているのではないか、と推察している。脂鰭を切除すると複雑な流れをコントロールすることが難しくなり、推進力が減少してしまう。それを補うために尾鰭をより大きく動かす必要がある、という説明だ。

写真2 キハダマグロ Thunnus albacares の小離鰭(しょうりき).
流れを整える整流板の役目があるという(写真提供:斎藤裕美 東海大学講師)。

また、脂鰭の基部には神経の分布がみられることから、尾鰭の前方で流れを感知し、複雑な流れのなかで尾鰭の動きを制御するセンサーとして働いているのかもしれない、とも述べている。確かに、麻酔で眠ったサケ科魚類の脂鰭をハサミで切る瞬間、それまで静かだった魚が一瞬 “ビクッ” とすることを私も経験しているので、脂鰭周辺に神経が分布するというのは本当だろう。だが、著者らが指摘するようなセンサーとしての働きが脂鰭にあるかどうか、今回の研究からは判断できないように思う。

さらに著者らの考察は、サケ科魚類の脂鰭にみられる “性的二型” にまで話が及ぶ。性的二型というのは、オスとメスで形態などの形質に違いがある現象のことをいい、繁殖期を迎えたサケ科魚類オスの脂鰭がメスのそれに比べて大きいこともその一例である。過去の研究から、成熟したサケ科魚類のメスは大きな脂鰭を持ったオスを産卵のパートナーとして選ぶ傾向のあることが明らかにされており、このようなメスの配偶者選択を通じて、脂鰭の性的二型が進化したと考えられている。

脂鰭切除実験の結果から、著者らは上記の仮説に追加的な説明を試みている。一般に、繁殖期を迎えたサケ科魚類のオスは、メスよりも早く産卵場である河川に到着するために、メスよりも長い時間を河川で過ごすことになる。その間、繁殖相手であるメスを探し求めて泳ぎ回ったり、オス同士でメスを巡って争ったりと、メスに比べて遊泳力が必要となることが多い。もし、オスの大きな脂鰭が河川を泳ぎ回る上で流体力学的に適しているならば、それが理由でメスは大きな脂鰭を持ったオスを配偶者として選択するだろう、というのだ。スチールヘッドの幼魚を使った実験から、なんとも大胆な仮説の提唱ではあるが、話としては興味深い。

ところで、脂鰭は何もサケ科魚類に特有の鰭ではない。魚類の分類学上、正真骨下区(Euteleostei)の8目 -ナマズ目(Siluriformes); カラシン目(Characiformes); サケ目(Salmoniformes); キュウリウオ目(Osmeriformes); ワニトカゲギス目(Stomiiformes); ヒメ目(Autopiformes); ハダカイワシ目(Myctophiformes); サケスズキ目(Percopsiformes)- に属する魚類が脂鰭を持つという。ただし、これらの目に属する魚類であっても、脂鰭を持つ魚もいれば持たない魚もいる。

続いて著者らは、脂鰭を持った魚類が属する系統学的関係に注目する。まず、脂鰭を持った分類群には、ある共通の形態的な特徴があることに着目した。それは、1枚の背鰭が背中の中央付近に位置し、尻鰭も1枚でこちらは体の後方にあり、尾鰭は三角形もしくは叉のように切れ込んでいる、というものだ(写真3)

写真3 脂鰭を持った魚の形態.
背鰭は背中の中央付近、尻鰭は体の後方にそれぞれ位置し、尾鰭は三角形もしくは叉のように切れ込む。写真はサケ目魚類のギンザケ Oncorhynchus kisutch。矢印は脂鰭を示す。

ところが、脂鰭を持つ分類群に属していながら脂鰭を持たない魚には、この形態的特徴がみられないという。例えば、キュウリウオ目13科のうち、5科は脂鰭を持たないが、これら5科に属する魚では、背鰭が背中後方の、尾鰭に近いところに位置し、尾鰭も丸い形をしているという。先ほど述べた、脂鰭を持った魚の形態的な特徴は、長い時間泳ぎ続けるのに適した構造であるのに対して、後方に位置する背鰭や丸い尾鰭といった特徴は、ともにスタートダッシュ(瞬発力)に適した構造なのだそうだ。

キュウリウオ目の近縁に、カワカマス目(Esociformes)という脂鰭を持たないグループがあるが(写真4)、こちらのグループの魚も背鰭が尻鰭と対称的な位置にあり、スタートダッシュ型の形態なのだという。実際、カワカマスの捕食行動は典型的な待ち伏せ型であり、水草などの障害物に潜んで小魚などの餌を待ち、それらが眼の前に近づいたところを瞬時に襲いかかって捕食する。確かに、スタートダッシュが要求されそうな摂餌行動である。

写真4 カワカマス目魚類のノーザンパイク Esox lucius.
脂鰭を持った分類群に属しながら脂鰭を持たない魚というのは、このノーザンパイクのように背鰭が背中の後方付近に位置する傾向にあるという。

カラシン目の魚類は南米の河川や湖沼に生息し、10科中9科に脂鰭がみられるそうだ。脂鰭を持たない1科というのは、カラシン目のなかで唯一丸い形の尾鰭を持つグループであるという。ナマズ目では、34科中25科に脂鰭が存在するらしい。南米に生息する、脂鰭を持つナマズ目魚類の多くは、北半球ではサケ科魚類がいるような流れの速い河川に生息するそうだ。さらに、脂鰭を持たないナマズ目9科のうち、実に8科は丸い形状の尾鰭をしており、先ほどのキュウリウオ目やカラシン目でありながら脂鰭を持たない魚に共通した尾鰭の特徴を持つという。

無論、この系統学的な考察には様々な例外があることを著者らも認めている。例えば、正真骨下区のネズミギス目(Gonorhynchiformes)やコイ目(Cypriniformes)、それにニシン目(Clupeiformes)といったグループの魚類は、背中の中央付近に1枚の背鰭と体の後方に1枚の尻鰭を持つという、脂鰭のある魚に類似した形態的な特徴を示していながら脂鰭を持たない。また、コイ目魚類が、脂鰭を持ったナマズ目やカラシン目の魚がいるような激しい流れの河川に生息しているのも謎だという。さらに、ハダカイワシ目の魚類は、よく発達した脂鰭を持っているにもかかわらず、激しい流れとは無縁の中深海水層(水深200-1000 m)に生息している。

本論文は、サケ目魚類のスチールヘッド幼魚を使って、脂鰭に尾鰭の振幅をコントロールする機能的な役割があるらしいことを明らかにした。さらに、実験で得られた知見を、脂鰭を持った他の分類群の魚類にまで拡張し、体の形状と脂鰭の流体力学的な働きについて考察した。これらの検討から、脂鰭にはちゃんとした役割があるゆえに、こうして様々な分類群の魚類に存続しているのだろうと著者らは考察している。サケマス類の種苗放流現場では、放流魚を天然魚など他の魚と区別するために、脂鰭などの “鰭切り標識” が広くおこなわれている。もし、今回の研究結果が事実ならば、脂鰭を切られた放流魚は泳ぎに不自由を感じつつも一生懸命に尾鰭を動かしながら、脂鰭のある仲間の後を追っかけているのかもしれない。

(2008年5月 さけます研究部資源研究室 斎藤寿彦)